垣原賢人(かきはらまさひと)さんには大好きなものが二つあります。
『プロレス』と『クワガタ』です。
垣原さんは1972 年愛媛県で生まれます。
クワガタを探して野山をかけ、プロレス雑誌を参考に幼い頃からトレーニングに励みました。
憧れは高田延彦。
中学を出たら高田がいるU W F に入ると決めていましたが母は猛反対。
渋々高校へ進んだものも気持ちは抑えられません。
垣原さんは、中退してU W F に願書を送ります。
辞めるなら入門が決まってからと母に諌められますが、保険をかけるのはプロレスに失礼です。
16 歳でプロレス入りした垣原さんは3つの誓いをたてます。
「高田さんと試合をして勝つ!」
「敵方の大将、長州力を倒す!」
「I W G P のベルトを巻く!」
しかし一つも誓いは果たせないまま、頸椎を痛め、34 歳で引退します。
妻と二人の子供がいた引退後に選んだのは、クワガタで生きることでした。
かといって売り買いで生計を建てることのは大好きなクワガタに失礼です。
垣原さんは小さなリングでクワガタ同士が戦うクワガタレスリング。
略して『クワレス』の興行を始めます。
血液の癌、悪性リンパ腫と診断されたのは、7 年前。
ステージ4。癌は骨髄まで転移してました。
抗がん剤治療を経た垣原さんは、クワレスに復帰します。
中学1 年生になったつくし君が一人でショーを続け、垣原さんが帰る場所を守ってくれていたのです。
虫が苦手で距離を置いていた長女の綾乃さんも弟を手伝っていました。
「僕は、クワレスを広めて、クワガタが住む森や自然を大事にする人が増えたら、金メダルだ。
っていうつもりで取材を受けました。
でもこうやって色々振り返ってみると金メダルなんかとっくに持ってました。
どんな時も僕を見捨てない『家族』が僕の金メダルです。」
垣原さんはクワレスの興行を続けながら、現在、プロレスのリングにもあがってます。
治療費を賄えたのは、闘病中、プロレラーたちが募金を募ってくれたからでした。
家族に支えられ、しっかり生きている姿をみんなに見てもらおう。
大好きな「プロレス」と「クワガタ」へのそれが垣原さんの恩返しです。
P.S.
癌の闘病中、垣原賢人さんを奮い立たさせたのは、垣原さんを応援するプロレスイベントで前田日明さんが言った言葉でした。
一部をご紹介します。
「レスラーは癌とかでは死にません。癌くらいでオタオタすんじゃない。どうやったら普通の人が怖がるような、
そういう病気を治していったかというのを、リアル版のプロレスラーが見せてやればいいじゃないか!
もう一度言うぞ、オタオタすんじゃない垣原。。」